8月15日(月)
忙しさに溺れてたら、感傷的な気持ちも忘れられる。
立ち止まって、深く考えてしまったらもう鬱になる気がして。
そうやってずっと進んでこれたんやと思う。
止まったら、溺れてしまうのが怖くて。
傷ついた体でも、ずっとずっと泳ぎつつけてたら、痛みも感じない。必死で必死で溺れないように漕ぎ続けるから、傷を見てる暇もない。というより、見たくないから、漕ぎ続けてたんや。
でもいまわたしは立ち止まった。
傷をよく観察してる途中。
わかってる、これまでのように、また考えることを辞めて、泳ぎ方も気にせず、漕ぎ続けることはできる。
でも、見たかった。きちんと、自分の体の傷もぜんぶ、直視したくなった。
立ち止まったから、溺れかけてるこのごろ。
不安になった。これまではちゃんと泳げてたのにって。
でもちがう。書いてみたら、わかった。
わたしは決して、できなくなったわけじゃない。
ちゃんと自分の行きたい方向を見て、泳ぎ方を知って、そして進もうとしてるんや。
傷をあらわにして、消毒するのは痛い。
でも中に残った棘をきちんととって、治療してあげよう。次に進むために。
長い長い道を進むために。
人生は、短距離走じゃない。そこの区間だけ突破できればいいものじゃない。
長い目で、少しずつ進んでいたら、それでいいんや。