the way 等身大の20歳。

2016年カミーノ〜

8月15日(月)

忙しさに溺れてたら、感傷的な気持ちも忘れられる。

立ち止まって、深く考えてしまったらもう鬱になる気がして。

 

そうやってずっと進んでこれたんやと思う。

止まったら、溺れてしまうのが怖くて。

傷ついた体でも、ずっとずっと泳ぎつつけてたら、痛みも感じない。必死で必死で溺れないように漕ぎ続けるから、傷を見てる暇もない。というより、見たくないから、漕ぎ続けてたんや。

 

でもいまわたしは立ち止まった。

傷をよく観察してる途中。

 

わかってる、これまでのように、また考えることを辞めて、泳ぎ方も気にせず、漕ぎ続けることはできる。

 

でも、見たかった。きちんと、自分の体の傷もぜんぶ、直視したくなった。

 

立ち止まったから、溺れかけてるこのごろ。

不安になった。これまではちゃんと泳げてたのにって。

 

でもちがう。書いてみたら、わかった。

わたしは決して、できなくなったわけじゃない。

ちゃんと自分の行きたい方向を見て、泳ぎ方を知って、そして進もうとしてるんや。

 

傷をあらわにして、消毒するのは痛い。

でも中に残った棘をきちんととって、治療してあげよう。次に進むために。

長い長い道を進むために。

人生は、短距離走じゃない。そこの区間だけ突破できればいいものじゃない。

長い目で、少しずつ進んでいたら、それでいいんや。